2007年 10月 02日
ライフワーク |
建築(の設計・監理)という仕事を僕は職業としている。天職と言えるかどうかは分からないけれど、他の仕事は全く考えられない。自分の才能の無さに打ちのめされる事はいつもの事だけれど、自分なりに少しでも良い建築をつくりたいともがいている。
姉歯元建築士による耐震強度偽装問題から改正された建築基準法(&建築士法)により、建築士の肩にのしかかる責任も大きくなりつつある。もちろん故意に悪い事をすれば処罰されるのは当然ですが、そうでなくても、自分のうかがい知る所ではない所からいつ何時そういった問題に巻き込まれるかは分かりません。
だから、僕は自分自身が納得のいく仕事をしていきたいし、人から後ろ指を指されるような事はしたくない。
僕は現在40才だけれど、仕事のオファーが来る限り、70才でも80才でも建築の仕事をしていたい。それでもおそらく「もうこれで満足」という感情を抱く事はないと思いますが、その残された人生の中で僕がつくる事のできる建築の数は限られています。そしてその残された仕事の機会を悔いの無いように全うしたい。
建築という仕事はその範疇がとてつもなく広範囲で、尚且つその奥が深いものです。広大で底の深い、道しるべの無い、大海原のような場所を進んでいるようでもあります。時には大きな波に呑まれてしまう危険性さえあります。でも自分の地図だけを頼りに少しでも終着点に近づきたいと僕は思います。
姉歯元建築士による耐震強度偽装問題から改正された建築基準法(&建築士法)により、建築士の肩にのしかかる責任も大きくなりつつある。もちろん故意に悪い事をすれば処罰されるのは当然ですが、そうでなくても、自分のうかがい知る所ではない所からいつ何時そういった問題に巻き込まれるかは分かりません。
だから、僕は自分自身が納得のいく仕事をしていきたいし、人から後ろ指を指されるような事はしたくない。
僕は現在40才だけれど、仕事のオファーが来る限り、70才でも80才でも建築の仕事をしていたい。それでもおそらく「もうこれで満足」という感情を抱く事はないと思いますが、その残された人生の中で僕がつくる事のできる建築の数は限られています。そしてその残された仕事の機会を悔いの無いように全うしたい。
建築という仕事はその範疇がとてつもなく広範囲で、尚且つその奥が深いものです。広大で底の深い、道しるべの無い、大海原のような場所を進んでいるようでもあります。時には大きな波に呑まれてしまう危険性さえあります。でも自分の地図だけを頼りに少しでも終着点に近づきたいと僕は思います。
by labo-diary
| 2007-10-02 17:40
| 日記