2006年 12月 26日
ちょっと長いダイアリーです |
つい昨日までほとんど毎日のように現場へ出かけて、その他は事務所に篭もりっきりという毎日を送っていたのだけれど、現場の仕事がひと段落して、今度は事務所にずっと篭もりっきりになってしまいました。
現場へ出かける「息抜き」がない状態で、ずっと図面を書いていると何だか日頃の書きたいことが浮かんできてしまい、ついつい忙しいのにダイアリーの更新作業をしています・・・。
少し前にあるクライアントの方から「お弟子さんは入れないんですか?」と訊かれ、
「そうですねぇ、なかなかそこまで余裕がなくて・・・。」と言うと、
「またそんな、こんなに忙しそうに仕事されているのに・・・」と言われました。
そうか、傍から見るとそんな風に見えるもんかなあ、と感じましたが、そんな事はありません。
ホント設計事務所って忙しい職種に挙げられますけど、手間ばっかりかかる収入が伴わない悲しい職種なんですよねぇ。
「またまた、そんな・・・」という声が聞こえてきそうですけど、ホントそうなんですよ。
そこらのちょっとした建設会社の社長なんかが長者番付に載る事はあっても世界的に有名な建築家でも長者番付に載る事は残念ながらありません。
どんなに大きな仕事をやっても、人件費や経費がかさみ、利益は意外と少ないものです。
設計という作業のそのほとんどは人件費という目に見えない部分です。
以前、友人に雑談で設計料の話をしていて、僕が設計料はだいたい工事費の10%前後だと言うと
「おいおい、そんなに貰うのか、ボロ儲けだな。」と言われた事がある。
数回クライアントと会って、1週間くらいでプランを考えただけで設計料の全額をもらえるならばたしかにそう思うかもしれない。
でも実際は1年間、あるいはそれ以上ひたすら働いてやっと得る事のできる報酬です。
よく建築士が、同じ国家資格の医者や弁護士なんかと比べると収入や社会的立場が圧倒的に低いと嘆くのだけれど、まったく同感です。
どうして医者や弁護士があんなに儲かるのか、不思議です。
そんな話を聞いてある弁護士の方がこう言いました。
「建築士の皆さんは、弁護士の事を羨むけれど、そんな事はありませんよ。
我々弁護士のところに来るクライアントはまず何らかの問題を抱えてやって来ます。
そんな何らかのトラブルを抱えたクライアントと弁護士は仕事をしますが、建築士は少なくとも建物をつくろうと夢を持ったクライアントと
仕事ができるじゃないですか。」と。
確かにそうなんだろうけど、何となく納得できない・・・。
(かと言って、弁護士のような仕事をしたいかというとそうでもないのだけれど)
話がそれましたが、それほど設計事務所は収入の面で割りの合わない仕事だという事です。
最近でこそ、僕の事務所もそこそこ仕事の依頼も来るようになったけれど、独立したばかりの頃はそりゃあ仕事なんてなかった。
そんな仕事のない頃、建築家の先輩のUさんから電話があり、
「青木君、今仕事はどう?忙しい?」と訊かれ、
「暇です!」と僕。
「じゃあちょっと俺の現場手伝って欲しいんだけど、肉体労働。」
「行きます!」と即答。
Uさんは僕の設計事務所勤務時代の先輩で、一緒に仕事をした経験はありますが、
独立してからの仕事は知りませんでした。
その当時、僕の仕事がないということもありましたが、そのUさんの現場を久しぶりに垣間見たいという気持ちもあり引き受けました。
Uさんの現場で型枠コンクリートブロックを建物の2階まで運ぶという作業をしました。
その他にも現場の色々な雑用作業をしました。
そしてその現場には僕の他にもカメラマンやらいろいろな職種の人がブロックをカッターで切っていたりと、いろいろな作業をしていました。
懐かしいですねぇ。
でも何だかんだ言ってもこの建築の設計という仕事が好きなんですよね。
好きと言っても、何も楽しい事ばかりではありません。
そのほとんどが苦悩と苦心、自分の才能のなさへの自己嫌悪の連続です。
だからこそ続くんでしょうか。
建築は自分にとって他では決して代えられないものがあります。
なんて言うんでしょうか、形のあるものをつくり上げる喜びとでも言うんですかね。
いろいろな人と関わりあいながら、自分なりの解釈を表現する、いや、「表現する」と言うよりは「つくる」と言った方がやっぱりしっくりくるな。
難しさの代わりに得がたい充実感があるんだろうか・・・。
以前、家内に
「子供たちが設計の仕事をしたい。」って将来言い出したらどうする?って訊かれました。
「やめとけ。」って、きっと言うよ、と僕の答え。
現場へ出かける「息抜き」がない状態で、ずっと図面を書いていると何だか日頃の書きたいことが浮かんできてしまい、ついつい忙しいのにダイアリーの更新作業をしています・・・。
少し前にあるクライアントの方から「お弟子さんは入れないんですか?」と訊かれ、
「そうですねぇ、なかなかそこまで余裕がなくて・・・。」と言うと、
「またそんな、こんなに忙しそうに仕事されているのに・・・」と言われました。
そうか、傍から見るとそんな風に見えるもんかなあ、と感じましたが、そんな事はありません。
ホント設計事務所って忙しい職種に挙げられますけど、手間ばっかりかかる収入が伴わない悲しい職種なんですよねぇ。
「またまた、そんな・・・」という声が聞こえてきそうですけど、ホントそうなんですよ。
そこらのちょっとした建設会社の社長なんかが長者番付に載る事はあっても世界的に有名な建築家でも長者番付に載る事は残念ながらありません。
どんなに大きな仕事をやっても、人件費や経費がかさみ、利益は意外と少ないものです。
設計という作業のそのほとんどは人件費という目に見えない部分です。
以前、友人に雑談で設計料の話をしていて、僕が設計料はだいたい工事費の10%前後だと言うと
「おいおい、そんなに貰うのか、ボロ儲けだな。」と言われた事がある。
数回クライアントと会って、1週間くらいでプランを考えただけで設計料の全額をもらえるならばたしかにそう思うかもしれない。
でも実際は1年間、あるいはそれ以上ひたすら働いてやっと得る事のできる報酬です。
よく建築士が、同じ国家資格の医者や弁護士なんかと比べると収入や社会的立場が圧倒的に低いと嘆くのだけれど、まったく同感です。
どうして医者や弁護士があんなに儲かるのか、不思議です。
そんな話を聞いてある弁護士の方がこう言いました。
「建築士の皆さんは、弁護士の事を羨むけれど、そんな事はありませんよ。
我々弁護士のところに来るクライアントはまず何らかの問題を抱えてやって来ます。
そんな何らかのトラブルを抱えたクライアントと弁護士は仕事をしますが、建築士は少なくとも建物をつくろうと夢を持ったクライアントと
仕事ができるじゃないですか。」と。
確かにそうなんだろうけど、何となく納得できない・・・。
(かと言って、弁護士のような仕事をしたいかというとそうでもないのだけれど)
話がそれましたが、それほど設計事務所は収入の面で割りの合わない仕事だという事です。
最近でこそ、僕の事務所もそこそこ仕事の依頼も来るようになったけれど、独立したばかりの頃はそりゃあ仕事なんてなかった。
そんな仕事のない頃、建築家の先輩のUさんから電話があり、
「青木君、今仕事はどう?忙しい?」と訊かれ、
「暇です!」と僕。
「じゃあちょっと俺の現場手伝って欲しいんだけど、肉体労働。」
「行きます!」と即答。
Uさんは僕の設計事務所勤務時代の先輩で、一緒に仕事をした経験はありますが、
独立してからの仕事は知りませんでした。
その当時、僕の仕事がないということもありましたが、そのUさんの現場を久しぶりに垣間見たいという気持ちもあり引き受けました。
Uさんの現場で型枠コンクリートブロックを建物の2階まで運ぶという作業をしました。
その他にも現場の色々な雑用作業をしました。
そしてその現場には僕の他にもカメラマンやらいろいろな職種の人がブロックをカッターで切っていたりと、いろいろな作業をしていました。
懐かしいですねぇ。
でも何だかんだ言ってもこの建築の設計という仕事が好きなんですよね。
好きと言っても、何も楽しい事ばかりではありません。
そのほとんどが苦悩と苦心、自分の才能のなさへの自己嫌悪の連続です。
だからこそ続くんでしょうか。
建築は自分にとって他では決して代えられないものがあります。
なんて言うんでしょうか、形のあるものをつくり上げる喜びとでも言うんですかね。
いろいろな人と関わりあいながら、自分なりの解釈を表現する、いや、「表現する」と言うよりは「つくる」と言った方がやっぱりしっくりくるな。
難しさの代わりに得がたい充実感があるんだろうか・・・。
以前、家内に
「子供たちが設計の仕事をしたい。」って将来言い出したらどうする?って訊かれました。
「やめとけ。」って、きっと言うよ、と僕の答え。
by labo-diary
| 2006-12-26 13:56
| 日記