2008年 01月 18日
正解の無い問題 |
子供の算数の問題なんかの解き方を、時々子供に教えたりするんですが、小学生の問題に限らずいろいろなテストや入試問題なんかも原則的に答えがあっての問題です。問題も答えを出すのに必要な事柄しか記述してありません。だからその問題文の中にあるごく限られた事柄を整理していけば解ける筈です。まあ、実際問題としてそれはそれで難しいけれど、原則的な考え方として、そうだと思います。
でも、実際の世の中に起こりうる問題や壁は、決して答えが用意されているわけではありません。その問題が解けるか(解決するか)どうかさえ定かではありません。そしてそれを解決するためのヒントも自分で見つけ出さなくてはいけません。ひとつの方法がだめなら、また別の方法を試してみるとかいった試行錯誤も時には必要です。
そういった試行錯誤を重ねながらも時には目の前の問題を解決して、あるひとつの答えを導き出し、「よかった、よかった。」と喜ぶこともあるでしょう。
でも、設計の世界には決して「正解」というものは存在しません。与条件を整理していけば自ずと正解に導かれるものでもありません。一級建築士の製図の試験問題のようにある程度の模範解答みたいなものは存在せず、その課題が、本当に建築として解決できるのかどうかさえ怪しい事も多々あります。でもその中から、自分なりの可能性を見つけ出し、その切れそうな細い糸をたどって自分なりの答えを出すのですが、正直言って自分でもそれが正解なのかどうかはその時点ではわかりません。
建築が完成し、クライアントの喜ぶ顔を見てはじめて「正解だった」と実感するのだと思います・・・。
でも、実際の世の中に起こりうる問題や壁は、決して答えが用意されているわけではありません。その問題が解けるか(解決するか)どうかさえ定かではありません。そしてそれを解決するためのヒントも自分で見つけ出さなくてはいけません。ひとつの方法がだめなら、また別の方法を試してみるとかいった試行錯誤も時には必要です。
そういった試行錯誤を重ねながらも時には目の前の問題を解決して、あるひとつの答えを導き出し、「よかった、よかった。」と喜ぶこともあるでしょう。
でも、設計の世界には決して「正解」というものは存在しません。与条件を整理していけば自ずと正解に導かれるものでもありません。一級建築士の製図の試験問題のようにある程度の模範解答みたいなものは存在せず、その課題が、本当に建築として解決できるのかどうかさえ怪しい事も多々あります。でもその中から、自分なりの可能性を見つけ出し、その切れそうな細い糸をたどって自分なりの答えを出すのですが、正直言って自分でもそれが正解なのかどうかはその時点ではわかりません。
建築が完成し、クライアントの喜ぶ顔を見てはじめて「正解だった」と実感するのだと思います・・・。
by labo-diary
| 2008-01-18 17:36
| 日記